管理人について

ファンスマ動画club      代表
スマホ動画クリエイター 木田 多津代(きだ たつよ)
1956年2月生まれ 京都市伏見区在住

プロフィール

スマホひとつで、撮影、編集、発信までお任せ、費用もわずか〜個人事業主者さまたちから多くの指示を受けている、今、もっとも旬の、”スマホ動画クリエイター”

数々の「癒しイベント」を自ら主催、共催しているイベンターでもあり、エステサロンの現役オーナーエステシャンでもある。
豊富な自らの経験から、ご依頼者さまの訴えたいこと、発信したいことが理解でき、ご依頼者様に寄り添うことのできる動画作成、また、動画集客のノウハウを活かした、動画制作が強みである。

『イベント内容をわかりやすく伝えることができ、集客アップにつながりました』
『私を知ってもらうことができ、ファンが増えました』
『セミナーの内容、雰囲気を知ってもらうことができ、体験レッスンの申し込みが増えました』
『イベントを動画にしたことで、参加者さんに喜んでいただき、今後につなげることができました』

などなど、嬉しい声も多数!!

ご自身で動画作成を考えていらっっしゃる方に対して、スマホ動画作成講座も開催
マンツーマンでの指導、わかりやすい語り口で好評である。

また、色と香りのマッチングマイスターで、色彩心理、アロマ、お香にも詳しい。

私の棚ぼた人生

現在、60オーバーのアラカンおばさん(笑)

実は、スマホ動画クリエイターと名乗ったのは、ここ2〜3年のこと

もともと、エステシャンとしてのキャリア、色と香りのマッチングマイスターとして
キャリアを積んできたことの方が長い。

60歳を過ぎて、今なぜ”スマホ動画クリエイター”なのか?

ご興味のある方は、読み進めていただけたら、嬉しいです。
書いているうちに、とっても長くなりました。

なので、本当に、興味のある方のみ、ご覧くださいね。

私の人生は、”棚ぼた人生”

夢多き20代

私の10代後半には、「an-an」「non-no」などの、新しいスタイルのファッション情報誌が多数創刊され、20代になると、「with」や「クロワッサン」などの、これまた新しいスタイルの女性の生き方情報誌が次々と創刊された。

女性が社会に出て、おしゃれに颯爽と生きていくのが、とっても、かっこよくクローズアップされた時代だった。

そんな時代の洗礼を受けた私。
今の私の原点は、ここ。

女性が、自分自身を主張する、自分の生き方を決める、束縛されず自由に生きる〜〜かっこいい!!って、思った。

普通のOLはつまらない、自分から発信できるような仕事がしたい・・・短大を卒業後、証券会社に勤めていた私は、華やかな、ファッションの仕事、自分からクリエイトできる仕事に憧れ、夜学で、大阪モード学園で、ファッションデザインの勉強を始める。

証券会社にそのまま勤めていれば、私はきっと管理職になっていて、今頃は、きっと、晴れて定年退職、年金をた〜くさんいただいていた身分になっていたかも・・・(現に、私の後輩がそうである)

でも、そこには、ワクワクしなかった自分がいた。新しい扉を開く、自分の可能性にかけてみたい、自分の世界を広げる〜そんなワクワクで、周囲の冷ややかな目線は気にならなかった。

そして、25才の時、晴れて、京都のアパレル商社に就職。
企画室勤務で、夢だった、企画の仕事、デザイナーとしての道を歩み始めた。
この時、企画マップ、デザインのイメージマップ、コラージュなどを作っていたことが、
写真に対する興味を持った第一歩かもしれない。

結婚

20代後半、仕事も、プライベートも楽しかった。、
その頃、父が亡くなり、兄も結婚で独立。
母と二人の生活になり、私は、多分結婚しないだろうなあ〜
と思っていた。

心配性で、見栄っ張りの母との生活
その生活も、少し窮屈に感じ始め、今から思うと、”大人反抗期”(そんな言葉があるのかどうかわからないが)母とはぶつかることが多くなった。

そんな時に現れたのが、今の夫〜〜
夫と私の共通の友達(夫からすれば、飲み友達であり仕事の得意先、私からすれば、スキーや音楽を通した遊び仲間)がいて、彼からの紹介だった。
「今晩、飲みに来いひんか?」
「ええよ、暇やしいくわ」
の軽いノリで居酒屋で会った。
あの時、あの誘いに乗っていなかったら、あっていない人だったかも。

40才近くで、冴えない独身サラリーマン、真面目なことだけが取り柄の人
その頃、何人かの方とお付き合いはしていた。お付き合い、と言っても、遊び友達だけれど、みんな自営業で、夢を持っていて、自分が中心と考えている人たちに見えた。

最終的に、結婚相手として、彼を選んでしまったのだが・・・

彼は野心家ではない、だから多分借金はしない人、私のすることに、細かい口出しはしない人、そんなことが基準になったのかも(笑)
つまり、この人なら、私が、私の人生を生きるために最適な人かも・・・なんて、今から思えば、勝手にわがままに考えていたのかもしれない。
この予想は、半分当たっていた。だから、今も、離婚しないで、彼と暮らしている。

何か課題を与えられて、興味のあるものなら、のめり込んでしまう性格の私。
独身時代は、上げ膳据え膳、洗濯も母が全部してくれていたので、味噌汁も作ったことがなかったし、炊飯器のスイッチを入れる〜なんてこともしたことがなかった私(笑)

夫と出会い、結婚生活、という、人生の課題を与えられて、自分で、自分の生活を作り出すことができる、デザインできる、楽しかった。〜お料理を作り、部屋を飾り、夫のシャツにアイロンをかけ、送り出し〜

結婚しても、しばらくして会社勤めをしていたが、やっぱり、子供は欲しい〜

ちょっとマンネリ化してきた仕事をやめ、妊活(なんて言葉は、当時なかったけど)、仕事をやめて、のんびりしようと思い、会社を退職。

出産、子育て

そして、35才で第一子出産、38才で第2子出産。二人とも可愛い女の子。

3才までは、子供は自分の手元に置いて育てたい。
洋服をデザインして、作って、などなど、完全に専業主婦の時代。

可愛い娘たちの記録を残したいために、手に取ったカメラ、やビデオカメラ
娘たちのナイスショット!。一番可愛いところを撮る工夫をするのが楽しくて楽しくて〜

まだまだ、スマホでビデオを撮る、なんてこと夢の話の時代のこと

子育ては大変だけど、今から思うと、本当にかけがいのない楽しい時期だったなあ〜

娘たちの洋服は、私の手作り

パート主婦時代

ちょうどこの写真の頃、世間では、バブルがはじけた。
夫の勤めていた会社も、倒産に追い込まれ、夫は無職に・・・
再就職したくても、すでに年齢は、51才
中年フリーター、毎日職安に行くも、仕事などない
彼も、一番辛かった時代だと思う。

ここから、私のパート時代が始まる。
長女6才、次女3才
子供が小さかったので、シフトを自由に調整できる”マクドナルド”から始まり
なかなか夫の就職先が決まらなかったので、仕事を増やし、
早朝のスーパー品出し、お昼のマクドナルド、夕方からのスーパーの惣菜売り場

3つの仕事を掛け持ち〜若かったなあ〜〜

ビデオカメラは、時代とともに、だんだんコンパクトになり
娘たちの学校の行事のたびに、活躍

でも、生活していくのが、精一杯のこの頃
趣味で、カメラやビデオを楽しむことはあまりなかった。

48才の時、棚からぼたもちが・・・

ある日、ママ友の、サロンのオーナーさんから
スタッフが一人辞めるので、ここで働かないか?と、お誘いが・・・

えっ!?
美容には、私、全く興味がないし、人の体を触るなんてできないし・・・まして、お顔を触るなんて、とんでもない・・・アロマって何? リンパってなに?

(今から思うと、美容に全く興味がなかったわけでもない。ただ誘われた時は、生活に精一杯で美容にお金をかけられない状態だったし、美容に使う時間を他の家事に回したかったから、いろんな意味で、自分にかけるお金と時間に余裕がなかったのだ)

すっごく悩んだ、美容の仕事、癒しの仕事のことなど全くわからない
お給料も歩合制で保証されたものではない

でも、タイミングってあるんだねえ〜
この頃、夫も夜勤の仕事が入り、私も早朝の仕事が入ったり、と
子供達も、両親がいない朝、自分で起きて、行ってらっしゃいと送り出されることもなく

ちょっと、家族がバラバラ状態
私は、危機を感じていた。

今が辞めるタイミングだね〜と判断した私

教えてくださるのなら・・・と、惣菜パートの仕事を辞め、
何もわからない美容の仕事に飛び込んだ
ほんと、私を誘ってくださったオーナーさんには、感謝しかない

私、48才
棚から、ぼたもちが落ちてきた時(笑)

私がどれほど美容に無知だったのか?のエピソードに
フェイシャルエステ をやり始めた時、お客様が、
「最近、ほうれい線が気になってね・・・」というお話をされる

ほうれい線?ほうれい線?なんだ?どこだ?
今なら、グーグル先生に聞けるけど、当時は、そんな便利な時代ではない
最後までわからず、エステを終わったことがある(笑)
それほど、美容には無知だったのだ。

この頃、ほとんど、カメラもビデオも触ることもなく
携帯ガラケーで写真を取っていた程度
携帯の写真機能が、発達してきた頃だったと思う

パソコンに初めて触れたのもこの頃
自宅には、もちろんそんな高価なものを買う余裕などなかったし
特に、必要でもなかった
サロン勤めをして、初めて、パソコンというものに触る。
チラシを作ったり、メニュー表やポイントカードなどを作ったり、
これはほぼ、独学〜(48歳から独学で作れるって、すごくないですか?)

もともと、こういうものを操作するセンスがあったのかも?
と今から考えると思う。

エステサロンで起業

ほうれい線もわからない私を、オーナーは、本当に親切にいろいろ教えてくださった。
今の私は、この時代があったからこそ〜、ほんとに感謝しかない。
ずっとオーナーと二人で、このサロンをしていくんだろうなあ〜と思っていた。

2年目のある日、私の人生のキーパーソンが現れた。
たまたま通りすがりにサロンを見つけ、来店された。
そして、私がマッサージの担当をすることになった彼女
私の施術を気に入ってくださり、常連に・・・お客様も多数紹介してくださった

大きなネットワークをもち、大きな収入もあり、子供達もうちとほぼ同じ、
占い師でもあり、美容、栄養、メンタル、経済などにも詳しい彼女

彼女のように生きたい、と思った

ある時、彼女がポツリと・・・
「独立しはったら、いいのに・・・応援するよ」と・・・

決断するのは早かった。
二つ目の、棚からぼたもち落ちてきた(笑)

私、50才

こうやって、後押ししてくれる人がいなかったら、
いつまでたっても独立できていなかったと思う。

でも、この時すでに、病院の警備の仕事についていた夫には
まだ、伝える勇気はなかった。
なぜなら、絶対、反対されると思っていたから・・・

仕方がない、強行突破!!事後報告しかない。
これも、反対されてもやる!!って決めていたので
迷いはなかった。

集客・SNS

独立して、まず、考えることは、”集客”
どうやって、お客様を集めればいい?

口コミ、チラシ配り、いろいろしたけれど、私には、紹介とネット集客が効果あり、とわかった。

ネット集客は、”ispot”というポータルサイトに掲載をしてもらい
(私が独立した13年前は、今のように、hot pepperもエキテンもeparkもなかった時代
あったとしても、検索上位には、こなかった。ispotが一番集客しやすかったのだ〜今でもあるのかなあ?)

ispotに掲載した初日には、9件の問い合わせがあったという・・・
その後も、月に新規3〜4件は、ここから集客できた。

あと、SNS〜
mixi.twitter. から始まり、ブログ、しばらくしてフェイスブック〜
SNSは、サロンの宣伝というより、自分自身の、ブランド力を高めるためのものと感じていた。
(今でこそ、ブランディング、とかいう言葉を使っているけど、当時は、ただ、自分のことを知ってもらいたかっただけの、SNS)

これからは”個人の時代”ということを、なんとなく感じていた

ホームページも、独学で作った
こういう作業が好きなんだなあ〜と、思う。
ただ、SEOとかは全然わかっていなかったので、集客アップのためというよりは
サロンのお知らせページのような位置づけだったけれど(笑)

癒しイベント主催

サロンの方に常連客がつき、ひと段落し始めた頃

また何か新しいことをやりたい意欲がモクモクと湧いてきた私
もともと、手つくりとか大好きだったので
そういうものを作る人たちのイベントをできないか?と考えた

それが、イベントをしようと思った、一番初めのきっかけ
8年前のこと

写真は、7年前に、京都の町家で定期的に開催し始めた癒しイベント

そのイベントの集客のため、毎回写真をスマホで撮り
スマホアプリで、コラージュにしてブログにアップしていた

そのうち、動画を自動的に編集してくれるアプリがあるとしり
イベントのスマホ動画と写真を、アプリに取り入れ
自動的に編集してもらったのがこれ

これは、”magisto”というアプリを使って、初めて編集したもの
編集と言っても、動画と写真を入れておいたら
アプリが勝手にこのように編集してくれるのだ

その後、この編集を自動でしてくれるアプリで
(編集を自分でしようなんて、これっぽっちも考えいなかった)
イベントのショートビデオを、趣味で作り出した〜
5年前のことである

2年ぐらいイベント主催をした
その度に、告知、報告をSNSに投稿

でも、その度に、集客に対して、自分の力なさを感じた
”いいね”が多くても、実際参加される人は少ない

出展者さんたちは、継続を望んで下さったのだが
私は、主催者として集客できないのは、本当に申し訳なくて
一旦、打ち切ることを決めた

パーソナルブランディング

その頃、拡散力のあるフェイスブック集客、というのが、世間の主流になっていたように思う
私も、フェイスブックを中心に集客していた

「1000いいねで、夢を実現」という本が出てきたりして
いかに、フェイスブックを使いこなすか?ということが起業家たちの話題になっていた

私はフェイスブックも含めて、SNSは、自分をブランディングするのに
とても良いツールと以前から思っていた。
芸能人でもないのに、メディアにでて、その無料ツールで、自分を宣伝できるんだよ。
すごい世の中になったと思った。

ちょうど姑を引き取り、介護が必要となったこの時期
サロンワークで、お客様と時間の約束ができない状況になり
サロンワークを縮小、パーソナルブランディングを学び
講師業にちょっと足を突っ込んだ

フェイスブックパーソナルブランディング講師である

どんなことを伝えていたか?というと、簡単に言うと
「SNS(主にフェイスブック)の投稿で、いかに自分の価値をあげ、どう自分の仕事に結びつけるか?」ということ

そして、大切なのは、自分は何をしている人、ということではなく、自分は、こんな生き方をしている人、こんな考え方をしている人〜ということを、発信してください。ものではなく、人を発信してください。

とお伝えしていました。

この頃に、たくさんの個人事業主の方から、相談を受け、その方の魅せ方を一緒に考えてきました。この時の経験も、今の仕事に、すごく活かされています。

そして、いろんなSNS(ブログ、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブ、インスタグラム、ラインなど)があるけれど、今から3〜4年ほど前は、ユーチューブの盛り上がり初期
ブランディングには、本を出版するか?ユーチューバーになるか?と言われる時代

この頃のクライアントさんとの話でよく出てくるのが、どのSNSを使うのが、一番良いか?ということ。そりゃ、ユーチューブでしょう?そして、本を出版できたら更にいいよね〜〜

この時、気づいたのです。本を出版する、とか、ユーチューバーになる、とかは、全ての人ができることではない。
でも、自分で動画は作れる、いや、作れなくても、発信することは誰でもできる。

動画は、ブランディングに使えると思った

ブランディングには動画がいいんだよ〜
みんなに伝えたかった。

今でこそ、ライブ配信は抵抗なくできる人が多いけれど、その頃は、まだまだ〜の時代
誰でも発信できるけれど、やはり編集してから・・・となる

私自身、動画編集は、まだまだ趣味の段階
映像の学校に行ったこともない、webのことも詳しく知らない
このアラ還おばさんが、できることとも思わなかった

でもね、楽しいことはやりましょうよ(笑)
これ、私の生き方!!♬ハクナマタタ♬大丈夫、なんとかなるさ♬
「あなたの想いひとつで、人生は変わる♬」

その想いだけで、独学で動画を、無謀にも、作り始めた。

まずは、知り合いに声をかけて、ブランディングに役立つような動画を作ることにした

スマホはすごいですね〜グーグル先生もすごい!!
スマホの動画編集アプリを検索、使いやすそうなものをインストール

交通費や作業の手間賃などを差し引いたら、無料に近いような形で
動画編集を引き受ける、というよりも、初めはこちらからお願いして
ビデオ編集をさせていただき、その方のお役に立てる様な動画を作り始めた

その頃の動画(今はもちろんこの頃より、腕は上がってますよ!!)

発表会のプロモーションビデオ映像

トークライブビデオ映像

音楽ライブ

などなど〜

ビデオを作成しては、SNSに上げ、ブランディングに役立てていただいていた

「好きこそものの上手なれ」

作品を一つ仕上げる〜
昔やっていた洋裁の作業
洋服のデザインをして、パターンを引いて、裁断、縫い合わせる
1枚の洋服を仕上げる

動画編集も何かこれに似たものがあり、
1枚の洋服を仕上げるようにひとつの動画を仕上げる〜
徹夜をしてでも、早く完成品をみたい

とても楽しい作業だった

私自身が、何より楽しく仕事をさせていただいているのだ

これ木田さんの強みやで〜

自分では気づかなかった・・・
2時間のセミナーや音楽ライブや、半日のイベントをショートビデオに編集する技

誰でもできるものではない、
しかも、パソコンで編集するのではなく、スマホで編集?
と言われることが多くなり、

これって、私の強み?
なら、活かさなきゃ!!

徐々に、ご依頼いただける数も増え、

『イベント内容をわかりやすく伝えることができ、集客アップにつながりました』
『私を知ってもらうことができ、ファンが増えました』
『セミナーの内容、雰囲気を知ってもらうことができ、体験レッスンの申し込みが増えました』
『イベントを動画にしたことで、参加者さんに喜んでいただき、今後につなげることができました』

という声も多数いただく様になり、
もう趣味ではなく、しっかりと仕事として、責任持って活動していこうと、決心したのです。

もう、主婦の片手間仕事とは言わせません。
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今後ともよろしくお願いいたします!!